倉敷帆布 BAISTONE 株式会社バイストン コーポレートサイト

社長連載コラム「倉敷帆布と私」

第五回 「「自立した経営」を目指したバイストン12年の歩み」

第5回『「自立した経営」を目指したバイストン12年の歩み』

バイストン創立に奔走した2002年当時、
倉敷地域における帆布生産を主に担っていたのは
丸進工業(株)、(株)タケヤリ、そしてタケヤリ帆布協同組合の3社。
それぞれに得意とする帆布の種類があり、
お互い良きライバルとして、そして良き仲間として切磋琢磨してきました。


一方で当時、すでに外国産帆布が市場の約9割を占め、
国産帆布は織っても織っても大変な状況下、廃業する工場も多数。
自分たちもこのまま帆布づくりを継続していくかどうか判断しなければならない、
そんな時期に差し掛かってもいたのです。


当時の私たちは、自分たちの帆布がどんな形で最終製品化されているのか、
どのように人の役に立っているのかほとんど把握していませんでしたし、
自分たちの強みや付加価値を深く考える機会も、考える環境もありませんでした。


時代の流れとともに、そのような受け身体質から
「自立した経営」に切り替えるタイミングが来ていました。


そこで、自分たちの帆布を自力でPRし・商談し・取引できる環境、
つまり「産元商社」「ショールーム」「本社」の3機能を併せ持った環境作りを
(株)タケヤリ、タケヤリ帆布協同組合のトップに提案します。


おそらく同様の危機感を持っていたのでしょう、
倉敷で共に帆布づくりを担う2社からの賛同を得られた事と、
経済産業省の川中産業自立支援事業に採択されるという好機が重なり、
2003年8月26日、(株)バイストン創立にこぎつけました。


ちなみにバイストンという社名は
タケヤリ帆布協同組合のトップだった木村理事長が提案。
3社共通のルーツである創業者の武鑓石五郎・梅夫妻にちなみ
「梅(バイ)」+「石(ストーン)」を組み合わせています。



じつは創立時、まったくノウハウがなかったわけではありません。
バイストン創立に奔走するより約7年前、
織物会社「丸進工業(株)」の中に「はんぷ屋事業部」を立ち上げ、
製品化や展示会への出展などへ積極的に取り組みました。


その経験から強く感じたのは
自社店舗での直販売、専門的なデザイン力、OEM機能の必要性でした。


それらの経験を活かす形で、
2004年春のGWにショールーム・本店をオープン。
2008年春には倉敷美観地区に2号店を、
2009年からはネットでも販売できる環境づくりに挑戦していきます。


また販売環境の拡充と並行して
「倉敷帆布」「JOBU」を皮切りにブランドを立ち上げていきます。
いずれもバイストンの志に共感できるデザイナーと組む形で
個性の強い6つのブランドができました。


国内外の展示会にも挑戦的に参加し、
卸先やダブルネームでの商品開発など、販路も拡大しています。



12周年を迎えた今、バイストンを客観的に見ますと、
販売環境・自社ブランドが共に整い、
OEMどころかダブルネーム商品開発の依頼が頂けるまでに成長。
自分たちが作る帆布の良さを自力でPRしお客様に届けられる環境作りを
ある程度実現できたように思います。



最近「次の目標は?」と聞かれる事があります。
新しいブランド展開や販路拡大を期待した質問かもしれませんが
私の答えは、「原点回帰」です。


私たちの工場は、一日に織ることができる帆布の量が決まっています。
廃番になった旧式織機を大切に使いながら、
手間ひまをかけて良い帆布を織ることに専念しています。


「当たり前のことを毎日コツコツ続けてきた」
石五郎・梅夫妻から続く127年分の積み重ねが、今の自分たちを支えています。



これからのバイストンは、
この限られた生産量の帆布をいかに魅せていくか。
小さくても強く生き残れる力をどのように付けていくか。
次の世代に何を引き継げるか。
そういうことを真剣に考える段階に入ったと思っています。


自分たちの原点を知り、在り方をもう一度見直してみる。
その上でバイストンらしい提案ができれば
また一つ、目標のステップを上れるように思うのです。


私も今年で59歳。
社長として旗を振れるのもあと5~6年だと認識しています。
最後まで守りに入らず前を向いて
バイストンをより良い魅力的な会社に育てていきたいと思っています。



次号では、バイストンを支えてくれているスタッフについて
私の視点から感じている事を書いてみたいと思います。
どうぞまたお付合いください。



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