倉敷帆布 BAISTONE 株式会社バイストン コーポレートサイト

社長連載コラム「倉敷帆布と私」

第二回 「「倉敷帆布」というブランドの命名秘話と込めた思い」

第2回『「倉敷帆布」というブランドの命名秘話と込めた思い』画像

倉敷帆布における一大転換期は、1970年代と言えます。


天然繊維素材の織布において高強度を誇った帆布。
その品質が買われ、牛乳配達の袋や、学生鞄、トラックの幌、
商店街アーケードの屋根、テントなど
日本での日常生活を下支えする役割を担ってきました。


このころは「倉敷帆布」というブランド名もなく
“いつも身近にある白くて丈夫な生地”という名もなき存在だったと思います。



そういった流れが大きく変わったのが
ナイロンやポリエステルを筆頭とした化学繊維が台頭してきたタイミング。
時代のニーズがガラっと大きく変化し、
帆布という素材は「生活を下支えする」という従来の役割を終えました。



じきに斜陽産業と呼ばれ、退路を断たれた状況に陥ります。
作っても作っても、利益が出ない。安価な白生地としての、名もなき帆布。
正直なところ、帆布工場を畳むことが頭に浮かぶほど、状況は厳しいものでした。



しかし私どもには、100余年の歴史のなかで培ってきた「高い品質」と
他の多くの国産帆布工場が廃業したことによる「国産帆布市場の高シェア獲得」
という2つのカードが残されていた。


「工場を畳み、商業施設かなにかに作り替えて新しい道を模索するか」
「帆布の力を信じて、もう一度踏ん張ってみるか」


2つの極端な選択肢を目の前にしたとき、浮かんだ思いは後者でした。



化学繊維とも、外国産の安価な帆布とも異なる市場。
「ていねいで高品質なもの作り」というベクトルを同じくする
日本の様々な手工芸・伝統産業と共に在りたい。
受け継いできた100年分の価値を、次の100年に繋げていきたい。
そんな思いを強く持ちました。



結果的に、それまで“名もなき白生地”として出荷していた自社の帆布に
『倉敷帆布(くらしきはんぷ)』という名前を命名し、
国産帆布生地ブランドとして再出発することを決めたのです。



「倉敷帆布」というブランド名を与え、(株)バイストンを立ち上げてから、
今年で干支一周を迎えます。
お蔭様で日本のもの作りを大切に思って下さるお客様からのご支持を頂き
今こうして倉敷帆布ブランドを存続することができています。


最近では、若い世代がみずから志願して入社してくれる機会にも恵まれ
「帆布作りを守っていく」というあの時の選択は間違っていなかったと
ようやく確信が持てるようになりました。



しかし、まだまだ良いことだけではありません。
大変なことの方がずっと多い。
そんな倉敷帆布を支えてくれている工場・バイストンの職人やスタッフ、
そして家族にも感謝しています。
(口下手でなかなか言葉では言えないのですが)


ブランド立ち上げ時の思いを新たに
子、孫、曾孫の世代まで、この倉敷の地で帆布作りが残っていくよう
私の代でやるべきことを継続していきたいと考えています。



次号では、『倉敷帆布』の在り方に共感し、出会うことができた
二組のプロダクトデザイナーについて書きたいと思います。



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